"青い鳥"を捜しにおとぎの国へいらっしゃいませんか? ベルギーにはあなただけの"青い鳥"がきっと見つかります。そんな旅のお役に立てれば・・・
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ベルギーは、独立(1839)以来最大の政治的危機に直面しています。
ベルギーという国の存続さえ危ぶまれている現状をご存知ですか?

2007年6月10日の総選挙でベルギー第一党、キリスト教民主フランドル党(CD&V)が過半数を取れず、未だに「無政府状態」が続いています。

ベルギーの現状を人に説明するのは、歴史を抜きには語れない。
その歴史を(現在の状況を理解してもらえるぐらい)充分に説明するにも相当な時間を要する。

省略に省略を重ねた説明をすると以下のようになる:

■1830年の独立戦争以前は


ハプスブルグ家、スペイン、オランダ、神聖ローマ帝国やナポレオンに統治されていた。
1815年ワーテルロー(ブリュッセルの南20km)の戦いでナポレオンが敗北した時、イギリスはセイロンと南アフリカをオランダから譲り受ける代わりに、今のベルギーをオランダに譲った。

カトリック系の南部の人達はオランダ(プロテスタント)の支配に満足せず、次第に不満が募り、1830年現在のオペラ座(の演目)に端を発し、独立のための暴動に繋がった。
オランダも武力で鎮圧しようとした。

■1830年の独立戦争はオランダからの独立だった


この独立戦争は南部カトリック系の貴族や中産階級(フランス語圏の人々)がオランダの支配から勝ち取った独立で、この時に法律や憲法はすべてフランス語になった。(余談になるが、フランス革命で難を逃れたフランス貴族達が今のベルギーやオランダに住み着いていたので、現在の北部フランドル地域の有力者階級はつい最近までフランス語圏の人々)

■1831年には当時の英国女王の助言のもと、ドイツの貴族だったレオポルド1世がベルギーの国王就任要請を受諾した。


■1839年にベルギーの独立が承認された


ベルギーは第一次と第二次世界大戦でドイツに占領されたが、現在のワロン地方を中心に様々な産業が起こり、アフリカの植民地からの資源なども豊富にあったので空前の経済成長をした。

産業・富の中心地が南部のワロン地方であり、議会もフランス語圏が中心であったので、徐々に北部の不満が募っていった。
北部のオランダ語圏フランドル地方は農業が中心の貧しい地方だったので、沢山の人々が南部の炭坑も含めた工業地帯へ出稼ぎに行った。それに加え、ベルギーのオランダ語圏の人々は中等・高等教育はフランス語でしか受けられなかった。

1960年代後半になると学生運動が盛んに起こり、世界最古の大学とされるルーヴェン大学でワロンの学生が追い出されることとなった。(その時に「新しいルーヴェン」という人工的な未来都市を建設することになる。)1970年代に入って初めてベルギーのオランダ語圏の人々は大学での授業を母国語(オランダ語)で受けられる事となった。このころに初めて民法などの法律も(それまではフランス語のみ)オランダ語で書かれるようになった。

この大学町の一部は現在世界遺産にもなっている「中世の大学町」だが、この分裂事件の時に「大学の所有物」をどのように分けるかで大問題になった。現在でもベルギー人達は自分たちがどんな馬鹿げた人々であるかを他人に(外国人達に)説明する時によく使う事例がある。例えば、最初に書かれた百科事典(100以上のボリューム)をどう分けるかで、奇数番号と偶数番号にわけ、くじ引きみたいなもので奇数番号はワロンへ、偶数はフランドルへ残す。結局それは何の役にもたたないものになってしまった。

1970年前後になると、植民地を失い、炭坑のほとんどは閉鎖し、ベルギーのフランス語圏主流の国力が急激に下降線をたどる。それに反比例して、北部が徐々に力を付けてくる。1990年代に入ると北部フランドルの政治勢力が圧倒的多数を占めるようになる。人口比率も北部が多くなった。

このように北部フランドル地方は虐げられた歴史と現在の経済的問題「北部の富が南へながれている」ことが発端になっている。

アントワープを中心に30年ほど前から「極右翼活動」が盛んになり、議席も取るようになった。そして、新聞やテレビを通しての盛んなプロパガンダでさらに「反ワロン・反移民運動」が広がりをみせている。

ベルギーの行政区分の説明もとてもややこしいが、大まかに言うと
1993年から連邦制に移行し、5つの政府が存在している(憲法上6つ)。
★北部フランドル政府(オランダ語)
★南部ワロン政府(フランス語)
★ブリュッセル首都政府(両方)
★ドイツ語圏政府(南部にある数カ所の村、合計人口7万人ぐらい)
★中央政府

私は現場に居る訳ではないので、これ以上説明はできないし、上記も間違っているかもしれない。
しかし、第一党の党首は極右翼との交渉に手間どっているのではないか?と思う。
極右翼は北のフランドル地方ではとても強く、移民排斥、フランドルの独立を願っている政党だ。そうでなくとも、首都のブリュッセルでは純粋なベルギー人は少数派になっている。ブリュッセルの中心部の人口で一番多いのが、モロッコ、トルコ、アルジェリアなどの回教徒だ。そして旧東ヨーロッパ人、他のヨーロッパ人もかなり居る。

現在の状況はベルギー独立以来の危機状況にある。国王も精神状態不安定で入院していることを聞いた。

P.S.
ヨーロッパを大きく分けると「ゲルマン系(北欧、イギリス、オランダ、ドイツ、ポーランドetc)とラテン系(フランス、イタリア、スペイン、ギリシャetc)」の二つになる。

その文化・言語の境目にベルギーは位置し、国の中央を東西に境界線が走っている。
二つの言語があるといっても、例えばドイツ語とオランダ語ならば似通った二つの言語だが、ベルギーはゲルマン系の言語であるオランダ語とラテン系のフランス語と全く違う言語の境界線が国のど真ん中にある、ということなのだ。

もう一つの説明は日本語で言う時に「フレミッシュ、フランドル、フランダース、フラマン」などと色々な言い方があるが、どれも同じベルギーの北部のオランダ語圏のことをいう。

P.S.
ベルギーにいる息子の話だと新聞で話題になっている「ベルギー分裂」に関する最大の問題点は「国の財産をどのように分けるか」なのだそうだ。上記ルーヴェン大学の事件がトラウマになっているのだろう。お金で買えない歴史や建造物を話合いで分けるとなったら数年や数十年でできるものではない。

ということは「ベルギー分裂」は選択肢のなかでも大きい比重になっているに違いない。

更に詳しく「ベルギーの歴史」を調べたい方は:
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